「生活にロボットが役に立つ未来」のイメージがリアルに持てますか? ~経済活動が工業化する未来~

「人工データ」と「自然データ」

今は「第三次」のAIブームと言われているんでしたっけ。
「ブーム=いつか終わりがくるもの」という言葉のニュアンスが示すとおり、この言葉を使う人じたい、終わりはともかくピークアウトの反動みたいなものを意識しているんじゃないかとも思います。


AIを「機械学習・データ分析」という面で狭義にとらえれば、すでに(すごく間接的にかもしれませんが)生活に密着するレベルまで実用化されていますよね。
いまお使いのスマホアプリが通信する先のサーバ、その奥(のさらに奥?)ではグルグルとデータを日々分析してバリューを生み出しています。

しかしAIやロボティクスを広義にとらえた「技術的なターゲット」としてはもっと広いです。その「広さ」がもたらす決定的な違い何かといえば、「データが人工的か自然か」という違いでしょう。

 

造語っぽい言葉遣いをしてしまいましたが、こう平たく書いてもうまく伝わるんじゃないでしょうか?


人工データに対するAIは実用化に成功

いまスマホのサービスの奥で動いているデータ分析システムが扱っている「データ」の多くは、人間が生み出した概念体系を通して抽象化された「人工的なデータ」です。

もっともっと昔、コンピュータによって業務がデジタル化された最初の分野は「会計」だと思いますが、「お金」や「会計」という仕組みも人間が生み出した概念でした。


以後、インターネットの登場で爆発的に広まったメールやチャットの時代にいたっても、文や文章というヒトの話す言語にのっとってつくられるデータこそが、実用に乗ったAIのメインターゲットでありつづけています。

 

最近は「動画」が普及したのでそれはどうなんだと思われるかもしれませんが、動画もデータの形式自体はカメラという光学センサーで撮影した「自然なデータ」でこそあれ、その賞味のコンテンツはやはり人間の概念体系(主に言葉や音楽)の上でつくられるデータでしょう。そういって全く異論はないと思います。

 

ちなみに余談ですが、音楽が(言語文化のような文化レベルに見合うレベルで)本当に体系化されたのはモーツアルト以来ではないかと個人的には思っています。私は音楽史についての専門知識を持っているわけではありませんが、一時期作曲に興味があって勉強したことがあり、音楽というものが人類の文化として真に成立したのがけっこう最近(まだ400年もたってない)だということにかなりの驚きを感じました。


人工データでの普及率はまだ低い:今後5~10年の儲かるDX

そうやって成功している「ターゲット=人工データ」なAIですら、普及率はまだまだ低いと個人的に思います。これだけブーム期間が継続していてもなお普及に時間を要している理由は主に、(1)構築するマンパワーの不足、(2)人工データに付随する「人工的なノイズ」の存在、という2点にあるのでしょう。

 

ここで2「点」と書きましたが、正確には2「面」というべきかもしれません。この2つは表裏一体です。

 

「人工的なノイズ」というまた造語っぽい言葉遣いをしてしまいましたが、これはデータをAIにかける前に前処理を要する部分をひとくくりにそう呼んでしまおうということで、本記事のようなテーマについて話すのがラクになる造語かなと思います。


この点について、もうちょっと掘り下げて考えてみましょう。

 

先述の通り会計システムは50年以上前からビジネスで実用されているわけですが、それにインプットするデータを用意する部分は本当に本当に長らく「人力」だったのでした。

以来様々なデータがコンピュータで処理されてきたわけですが、「インプットする役目がヒト」である以上、ヒトは人工ノイズにすごく強く(というかそもそも人工ノイズの生み手でもあり)、それでシステム全体としてうまく回ってきました。

 

なので、普及率を向上させる上での障壁は、根本的には、人間の経済活動が「言葉」で行われているという「当たり前のこと」にある、と私は思います。


なので、普及率を上げるアプローチとしては、2つのやり方があるわけです。その2つとはもちろん、「ノイズを消す」やり方と、そもそも「ノイズを生まない」やり方、です。

 

まず前者の「生み出された人工ノイズを消す」やり方ですが、これは言葉を介して行われたヒトの経済活動の上に生成されたデータから人工ノイズを消去する仕組み(それは組織的な人力で、もしくはややこしい話だけどそれを例えばOCRのような『AI』で)を採算の合う方法で実現するというやり方です。

 

私が思うのはこの前者は(少なくともドメスティックには)「今後5~10年のDXのメインターゲット」になるということです。


次に後者の、「そもそも人工ノイズを生まない」やり方ですが、そこでのキーワードは「無人」になります。ヒトを介さない経済活動が成り立つためにはそもそもそれが自体デジタル化されていなければなりません。もちろん無人な経済活動にも人工ノイズはあります。それ何かといえば設計レベルでの人工ノイズです。例えば自動販売機はそれが行う販売行動は無人かもしれませんが、設計開発するのはヒトですよね。だから自動販売機メーカーが違えばデータの形式も違うわけで、それが人工ノイズになるわけです。

 

GAFAが注力しているのは明らかにこの後者のアプローチでしょう。そもそもノイズを生まないという後者のやり方は、人工ノイズの可能性が「サービス提供者数」に比例する形となります。


つまり、無人サービスを提供するプレイヤが多いほど人工ノイズ(設計におけるノイズ)の可能性も高まるわけです。だから独占と相性が良い。だからこれはGAFAのような独占を狙う企業が注力する方法としてうってつけでしょう。

 

なので、ドメスティックな(=国内向けビジネスの)分野では専ら前者を意識して取り組むのが得策だと思います。後者のアプローチではいずれどこかで(それはもしかしたら30年後なのかもしれませんが)GAFAとカチ会うことになるでしょう。

 

ただ実際には、前者と後者という2分類は単純化のし過ぎで、GAFAが提供するグローバルプラットフォームのどの部分まで乗っかるか?というサプライチェーンのどの部分を利用してどの部分から自主的にGAFAに対抗しうるのかという点を考えて実行することでドメスティックに勝機を見出すべきではあります。

 

ディープラーニングがもたらしたことと現状の課題

ここまで書いた通り、多くの分野で実用化に成功しているのは「人工データに対するAI」なのですが、「自然データに対するAI」の実用化はどうなんだ?というのがようやくですが本記事の主題になります。

このテーマが「ディープラーニングの何が革新的か」という点と関連してくるのでした。

多くの解説記事で書かれていることかと思いますが、ディープラーニングのすごさは「データを人工的な概念に通さなくても扱うことが出来る」点にあるのでした。


これは言語に限らず、先述した音楽でもそうですし、もっと物理や化学といった自然科学上の概念(例えば運動方程式とか化学結合とか)も「人工的な概念」に該当するという点に特に注意が必要です。極端に言えば「純粋に」ディープラーニングな作曲AIは音楽理論をほとんどプログラミングしなくても作曲できるべきだし、運動方程式も何もおしえなくても人工衛星の軌道計算が出来るべき、だとも言えます。

 

もちろん実用に乗せるためにはそんなに純粋にこだわるのは足かせになるのでどこまで人工的な概念を教えてどこから自己学習させるかという塩梅はすごくコアなノウハウになってくるわけです。

 

(ここで、ここまで読んでくださった方の中には、「じゃあ既存の人工的な概念とは全く異なるロボット専用の新しい概念を開発するっていう手もあるんじゃね?」と感じた方がおられるかもしれません。もしあなたがそうでしたら私とすごく話が合いそうなので今度飲みに行きましょう(笑)。特にヘーゲルという哲学者は、このテーマについてすごく考えたようですよ。哲学とロボティクスはすごく密接な関係がありますね。)


さて話を戻して、そうしたヒトから全くモノやコトを教わらずに自己学習できるケースは主に2つのケースがあり、それは、(1)世界が閉じていること、(2)先例(既存データ)が大量にあること、の2つになります。(1)は閉世界というAIの用語もあって、例えば将棋や囲碁においてAIが大成功したのが良い例です。世界が閉じていることで(2)の先例を与えなくても自動的に先例を自分で生み出すことが可能になるというがキモです。なので、本当に必要なのは(2)です。

 

(2)はビッグデータという概念と同じようにも思えますが、少し違います。ビッグデータという言葉には質という面への制約をあまり問わないニュアンスがあり、「質の良いビッグデータ」とか「質の悪いビッグデータ」とかいった言い方が意味を持ちます。しかしここで(2)が意味するのは、用いるAI技術において1次入力とシステム側に事前に備えておく概念体系という設計が済んだ後のデータのことであり、その意味での「先例」がたくさんある必要がある、ということです。


これはかなり敷居が高いことです。閉じてない世界、リアルな自然データはもともとセンサーデバイスに備わっているハードウェアの制約しか制約がありません。それで全体のシステム設計上そのままデバイスがフィットするなら良いですが、そう簡単にいくならロボティクスはもっと実用化されているでしょう。


だから、先例をたくさん集めないといけない上に、その先例のデータとして「概念体系の事前供与と自己学習の境界線」をどこにひくのがベストなのか模索する2段階を同時に実行しなければならないのです。


Googleに買収されたDeepMind社は、まず(1)の閉じた世界(すなわち、ゲーム)において、自律的に学習するAIを開発するというアプローチを採っているそうです。これは、2段階のうち少なくとも先例をたくさん集める部分を効率化して、境界線引きのノウハウ蓄積に注力するというR&D戦略ともいえて、非常に合理的です。しかし、そうやって蓄積したノウハウが今度実際の閉じてない世界で通用するかは別問題だということには注意が必要です。グーグルという大きな企業グループの中の存在なので、グループ内の他社と連携することでその精度を高めていくのでしょう。

 

今実用化されているロボット

では今工場などで動いているロボットはどんな仕組みで動いているのかというと、先ほどの話を踏まえると、「ヒトが持っている既存の概念体系をフル活用」したうえで「世界が閉じている状況」に出来るだけ近づけるというアプローチで設計されています。

 

工場の中のようになるべく環境を一定に保つことで世界が閉じているのに似た状況を作り出し、そのうえで人が教えたタスクをひたすら自動的に行う、これが今実用化されている多くのロボットがやっていることです。

世界が閉じていれば、まず第一段階としてそこにAIを乗せることはできそうです。5分で10個の部品を生産できたことを自己学習で11個作れるようにするとか、そういった取り組みが技術的には可能で、実際にそうした研究開発がいままさに行われているでしょう。

 

しかしこれは、多くのメディアでうたわれていたり、一般に人が想像するロボットを使って人間が快適に生活できる未来のイメージとはまだギャップがあります。

 

広義のAIやロボティクスの実用イメージ

さて長々と書いてきましたが、ここまで読んでくださってもしかしたらハッとされたかもしれません。なぜロボットの実用化の話をする前にわざわざ「今実用化されているデータ分析システムの話」をしたのか、です。

 

データ分析は実用化にいたってはいるが、その普及率はまだ十分でなく、その課題を解決する手段として、「そもそも人工ノイズを生まない仕組みを作る」というのが2つあるうちの後者のアプローチでした。

 

自律的なロボティクスの実用化は、それを実現する手段の一つとして始まるのではないかというのが本記事の主張になります。

 

だから、ロボットが生活に密着する形に進歩するのではなく、「我々の生活(≒経済活動)が工場みたいになる」というのがリアルに持つべき未来のイメージではないでしょうか。

 

標語的に言えば、本記事のサブタイトルの通り「経済活動が工業化する未来」です。

自動車が普及するときに、世界はインフラが自動車のある生活にフィットする形に変わる「モータライゼーション」が起きました。

 

なので今度は「ロボタライゼーション」がきっと起きるのでしょう。世界中の経済活動が無人化されて工場みたいになるのでしょう。


これはあまりメディアでは語られていないことのように私は思います。でも、私の思うリアルを端的に語ると、こうした言い方になります。

 

終わりに

こうやってグダグダと頭でっかちなことを本記事でもまた書いてしまいましたが、これは自分の好きな青い言葉である「イノベーション」をどう起こすのか
について書きたい欲求があるからで、本当にこのようなテーマに取り組んだら「下手したら死ねる」かもしれません。

もちろんちゃんとイノベーションを起こしている起業家もいて、自分が理解したのはその人たちは共通して「すさまじく勤勉」だということです。
自分が平均よりかなり怠け者なこともあってか、本記事のようなことを「考える私」と「実行する彼ら、彼女ら」とはすさまじくギャップを感じます。

実績のない私としては、考えても意味がない面が強いわけです。
その考えることすら、例えば本記事だとオリジナリティは0.5%くらいで99.5%くらいは既にどこかのメディアで語られていることの寄せ集めですしね。

それでも自分は考えるのが好きなのでコンサルティングで一生食べていけたらいいなぁって思っちゃってるわけですが、もちろんそれも手を動かすスキルで
後れを取ってないことが必須になるので、両方(考えることと手を動かすこと)頑張っていきたいですね。


ではまた。