ラピュタの雷にシビれる憧れる
有名なジブリアニメ「天空の城・ラピュタ」。その終わり頃のシーンに悪役ムスカによって起動される恐るべき古代超兵器。
地上に落とされるや否や、たちまちそれは火の海と化し、立ち上るキノコ雲。
うーん、シビれますね。あのシーンがラピュタで僕の一番好きなシーンです。超カッコいい。
もし神様がいて、僕に「なんでも欲しいものを一つだけあげる」と言ってくれたら、
僕は即答します。「ラピュタの雷が欲しいです」
と、治らない中二病の話はさておき、あの兵器、どういう原理なんでしょうか?
シーンの描写を振り返る
ラピュタの映画初公開から30年以上は経ちましたがそれでもあの兵器は今の我々の技術よりもはるか先を行くテクノロジで作られているように見えます。
じゃあ、どんな原理なんだろうか。あのシーンにおいて特徴的なことは
- 飛行石から無尽蔵のエネルギーを取り出してそれを放出してる感じがする。何発でも打てるキャパシティがあるように見える。(一定のクールダウンは必要なのかもしれないが)
- 飛行石は反重力(負の質量)を持っているようだ。
なので核爆弾ではないかなぁと思います。
そこで、私の考えた候補は2つ。
順に見ていきます。
反物質爆弾か?
反物質も電磁気による保護膜があれば大気中で数秒オーダーで安定的に存在させることは理論的には可能じゃないかと思います。あのシーン、砲弾が発射される前にいくつかのアンテナのような突出物がバチバチとエネルギーを溢れさせる描写があるので、それが保護膜を作っているのだと考えられなくもない。しかしその保護膜を作るのには膨大なエネルギーが必要で、それをどうやって出すのかも疑問です。
基本的に核分裂や核融合といった核爆発は超高温で起こす現象なので、いわば「着火」がトリガーになりますが、反物質はその逆で自然にエネルギーに変わって消滅してしまう存在であるところを大気のような通常の物質から隔離することで踏み止める、という原理になります。なので保護膜が消えた瞬間にドカーンとなります。
電磁気による保護膜を維持するにはアンテナから遠隔力を与え続けないといけなくて、指向性技術の精度にもよりますが基本的には距離の2乗に比例して大きな力を与える必要があります。そして、あの兵器はラピュタの真下に向いていてラピュタ城の浮遊高度帯の安定ぶりから鑑みるに「割と射程距離が一定」だという制約を持っていそうに見えます。これらのことを総合すると、あれは電磁保護膜の維持限界と結びついているという解釈も可能かもしれません。
反物質そのものは、今も普通に我々の身の回りで生まれては消えてっていうのを繰り返しています。そのミクロなゆらぎを底引き網ですくうようにして集めていってチリも積もればなんとやらで爆弾になるレベルまで集める、その間爆発しないように何らかの容器に閉じ込め続けるってことをやると反物質爆弾が(原理的には)作れます。
あの大きな飛行石の中に、古代に集められた反物質がギュッと詰まっているのでしょうか。もしそうなら、何らかの結晶固体に反物質を閉じ込めることは、原理的に可能なのでしょうか。そのあたりも、今後の我々の実世界における研究の成果を待ちたいところです。
反物質を地球大気中に放置可能な何らかの結晶固体に閉じ込める技術を開発したら、即ノーベル賞でしょう。
ボースアインシュタイン凝縮と爆発
さて、次の候補。飛行石が示す反重力ですが、重力に逆らうということは質量が負である、その負の質量は実験的に作られているそうです。
余談ですが、「負の質量」は物理法則として用いられる数式上での「可能な数学的操作に無理やり物理的解釈を与える」ような話なので「実在・実証」というニュアンスが正しいのかよくわからないところはあります。それは、ニュートンやアインシュタインが作った方程式が、彼らが想定した以上に正しいのかどうか、みたいな話です。
上のリンク先を見ると負の質量はボーズアインシュタイン凝縮(BEC)状態において観測されるとのことです。あのシーンに見られる、いくつかのアンテナから発せられるエネルギーが中央で集結して一つの砲弾となって放たれるという描写は、ボースアインシュタイン凝縮の実験で行われるレーザ冷却装置の振る舞いとすごく似ています。
しかし疑問になるのが「爆発が何によって起こるのか」です。反物質はほっといたら普通の物質と結びついてエネルギーに変わって消滅するという性質を持ちますが、BEC状態の物質は別に爆発とかするわけじゃありません。
ちなみにBEC状態は、人間の社会に例えると原理主義団体・カルト団体のようなイメージです。ただし、ちょっと特殊なカルトで、「他人とのコミュニケーションを取らない人」ばかりが集まったカルトです。レーザ冷却装置は、団体を維持する外力のような働きをします。
我々の社会で「爆発的流行」とかいったりすることがありますが、それは思想やファッション、習慣といった文化的な事柄を指しており、本当に何かが弾けて爆発するわけじゃありません。BEC状態においても、そういう爆発的流行のような意味での爆発は起こすことができますが、それを物理エネルギー的な爆発と結びつける原理があるのか私は知りません。
(追記)BECについて例え話を持ち出すとナンセンスなことになってしまう。こういう書き方はすべきではないと感じた。しかしそうなるとここではこれ以上何も書けることがない。。
量子的な「コヒーレンスの崩壊」あるいは「コヒーレントかつマクロな状態遷移」を何らかのエネルギー移動(ただしエネルギー利得が大きなプラスであること)と人工的に対応させる(つまり単なる引き金の役割とかでもいい)技術を開発できたら、これもノーベル賞クラスでしょう。*1
そういうわけで、あのシーンをボースアインシュタイン凝縮の実験に照らすと、描写の類似性は反物質の時よりも強いけど、砲弾が着弾して爆発を起こす部分で原理的疑問が生じてしまうことになります。
というわけで
こういうのこそエイプリルフールに書くべき記事でしたね。
ではまた。