YOASOBIのボーカルとしてもソロのシンガーソングライターとしても活躍する幾田りらさん。
その歌唱力はもう語るまでもない素晴らしいものですが、本記事では私なりに魅力を語ってみたいと思います。*1
YOASOBI - 夜に駆ける / THE HOME TAKE - YouTube
ダンスミュージックとリズム感
今のポピュラー音楽はほぼ全てダンスミュージックの系譜を受け継いでいて、それが「今風」な音楽と感じられるかどうかを左右する重要な要素になっています。そのせいで20年くらい前とかと比べるとより優れたリズム感がボーカルには求められている。
なのでリズム感に突出したボーカルが音程内で若干の修飾(抑揚とか感情表現とか)を付けて表現することで聞き手に十分な豊かさを届けることができます。ポップミュージックにおいてそういうボーカル表現をし続けている代表格が倖田來未さんだと思います。
倖田來未-KODA KUMI-『キューティーハニー』~ 20th Year Special Full Ver. ~ - YouTube
昔ながらの伝統的歌唱力と再解釈
それとは真逆の表現が良しとされているのが、演歌や民謡の世界かなと思います。リズムを独自に解釈して「外し」を入れることが豊かさにつながったりする。この場合、音程内での修飾がより求められます。
そういうボーカリストの中では朝倉さやさんが好きです。
サクナヒメ エンディング #朝倉さやLiveレコーディング (ヤナト田植唄) bgm - YouTube
朝倉さやさんはその歌唱力で現代/歴代のポピュラー音楽を独自に再解釈して表現するような活動をされていて大注目のボーカリストです。
無色を感じさせる凄さ
さて私の好きな2人のボーカリストを挙げましたが、倖田來未さんはダンスミュージックの系譜にあると言ってもそんなに異論はないんじゃないかと思うし、朝倉さやさんはそもそもの出自が民謡歌手です。
では幾田りらさんにはなんらかの系譜を感じるでしょうか?あまり突出した何かを感じないように思います。すごくベーシックというか無色な感じがします。
私が思うに、この「無色」を表現するのは非常に難しく、「リズム感」と「音程内での修飾」という2つの表現を次々と使い分け繰り出していくことが必要になります。
特にダンスミュージックの色が強い楽曲ではリズム感の方が重視されるため、音の区間がより短いというハードな制約な中で「音程内での修飾」を盛り込む作業をこなしていく必要があります。
幾田りらさんはその極めて難しい作業をサラっとやってのける。
YOASOBIの代表曲である「夜に駆ける」ではその「無色」を感じさせる表現が、この楽曲に宛てられた歌詞の内容が本来持つ絶望感と悲壮感を見事に昇華させる効果に結びついている。それはAyaseさんの意図的なものなのかは分かりませんが、この楽曲といくらさんのボーカルが奇跡的なマッチングであることは確かです。
無色を表現するもう一人のボーカリスト
ではこうした(私個人の主観的な印象として)無色を感じさせるボーカリストはこれまで他にいなかったのでしょうか?
います。竹内まりやさんです。
竹内まりやさんは意図的にリズムを外したりリズムを独自に再解釈するような歌い方をすることはまずありません。あくまでも楽曲が持つリズムの中で次々と修飾を盛り込んでいきます。また楽曲が持つ音のつながりを独自に再解釈することもありません。
プロレベルで「楽譜どおりに歌える」ことが凄い
そう、竹内まりやさんも幾田りらさんも「楽譜どおりに歌っている」のです。だから「無色」に感じるんです。
竹内まりやさんの楽曲はダンスミュージックではなく純粋にポップスの系譜にあって、この場合の難しさは音の区間が長い場面が多々訪れることにあります。その区間においてもリスナーを飽きさせないように何らかの表現を盛り込めると理想的です。
演歌も音の区間が長い場面がたくさんあるジャンルですが、演歌のプロの歌手はそこにリズムの再解釈を与えたり、単一の修飾を引き延ばすような表現でそうした場面をやり過ごすことが多いです。竹内まりやさんはそうした「やり過ごし」は絶対にしません。必ず、何かの表現で繋いでいきます。
それが演歌とポップスを分ける決定的なことなのでしょう。確か竹内まりやさんは、いつだったかのインタビューで自分の音楽が歌謡曲(演歌の系譜を受け継ぐ戦後のポピュラー音楽)と一緒にされることを忌み嫌うような発言をされていた記憶があります(出典をここで示せず、すみません)。
演歌歌手は無色では務まりません。むしろ色を出さないとけない。プロとして長年活躍している歌手はどの方もオリジナリティを感じさせる「色の濃い」方ばかりです。その人の歌が聴きたいから聴きに行くという固定ファンがいてのプロの演歌歌手、という世界です。
ポップスやダンスミュージックも、楽譜どおり無色に歌ってそこにプロレベルの表現の豊かさを盛り込むのは困難な世界です。なのでボーカル含めた楽曲全体の表現で質を担保しようとすることが多いと思います。
そんな中で幾田りらさんは純粋に楽譜どおり歌ってプロレベルの表現ができる稀有なボーカリストです。今後のさらなる活躍も楽しみです。
ではまた。
*1:本記事の高度な音楽評論としての価値はゼロに等しいです。飲み会の雑談だと思って読んでください。