エンジニアが美術展に行くべきたった一つの理由

コロナだし、梅雨だし、できれば外出したくない今日この頃ですよね。

 

だからこそ、特に「実物」を目にしたり体験したりするイベントに限ってはフットワーク軽く参加したいって思いませんか?

 

実物を体験するといっても、音楽のライブ、落語・歌舞伎・能などの伝統芸能、美術館や博物館に行く、展示会に出向く等、色々あります。中でも私は、美術展には積極的に行きたい派です。

 

それはなぜか? なぜ美術展なのか?と思われるかもしれません。そこで本記事は想定読者をエンジニアとして「美術展に行くとどんないいことがあるのか?」について語ってみます。

 

[1] アート鑑賞=作者とのコミュニケーション

僕は昔、美術に対してその言葉に含まれる「美」と「術」いう漢字から「何か美しいものを生み出す術」なのだろうという認識を持っていました。

 

しかし、後に分かったのは「それだけがアートではない」ということでした。

 

美術、英語でいうとアートは、もともとは「人の手が入った」とか「人工」とかいった意味の言葉でした。だからどんなに美しい自然の風景を目にしたとしても、それ自体は美術的ではないわけです。

 

必ずなんらかの人間の意図的な営みが介在されて出てきたものがアートです。

 

ここが重要なポイントで、美しいものを感じるだけだったら風光明媚な場所を観光するのだっていいのです。アートには必ず「作者」「作り手」がいます。したがってアート鑑賞では「美しさへの感動」よりも指向すべき考え方があるのです。

 

それは何かというと

アート鑑賞とは、作品を媒介とした作者との時空を超えたコミュニケーションである

という考え方です。

 

では、作者とどんなコミュケーションをすべきなのでしょう?

 

エンジニアは日々の仕事で設計したりコードを書いたりシステムを運用保守したりしますが、そういった営みと画家が絵を描く営みとの間のどこに重要なコミュニケーションの余地があるのでしょう?

 

それについて次節で述べます。

 

[2] 常識や限界や先入観を打ち破るマインドと人生観

技術という「絶対的な制約や限界を必ず伴うもの」を日々扱っているエンジニアにとって難しいのは、技術的限界を超えること、先入観にとらわれず想像すること、などです。

 

特に、自分の限界についての認識も無意識に纏いがちです。例えば、自分は「文系だから機械学習はちょっと敷居が高い」とか、「ずっとサーバサイドやってきたしこれからもその部分のプロでいたいからWebのクライアントサイドは敬遠しちゃう」とか、何かしらあることが普通でしょう。*1

 

画家も、テクノロジーほどの制約の強さではないにしろ、作品を生み出す際におかれていた世間の常識や先入観、自分への限界認識などと向き合いながら創作活動をしていたわけです。

 

そういう意味でエンジニアと画家は似たような悩みを抱える存在だといえるでしょう。

 

そして、コンピュータが実社会で使われだしてからまだ100年も経っていませんから、過去の人がどのようにそういう悩みと向かったかを参考にするにしてもサンプルがそれほど多くないわけです。

 

だから対象を広げて、画家も含めて参考にしてみたらどうか、と私は思うのです。

 

例えば、Winnyソースコードを読んでその革新性を味わいながら、当時の金子勇さんがどのような思想・マインドでそれを作ったかを想像してみることは非常に有益でしょう。

 

それと同様に、過去に生きた偉大な画家が遺した作品を通して、当時その画家がどのようなマインドで、また画家が生涯をかけてどんな高みを目指したのかを想像してみることは、Winnyと同様に、もしかしたら巨匠の画家ならWinny以上に有益かもしれません。

 

しかしそうはいっても、作品を通して画家のマインドを推し量るなんてこと、出来るのでしょうか?

 

これは感覚的な話になってしまって申し訳ないのですが、出来る、と断言させてください。

 

次節以降では、私の実体験談を書きます。

 

[3] モネ展

まず、本記事で私が主張していることを実感した原体験は、六本木の国立新美術館がオープンした際に開催されたほぼ空前絶後のレベルでのモネ作品集結であった「クロード・モネ展」にあります。

 

当時私はモネを始めとする印象派の絵画が好きでした。それは単純に「いやーきれいだなぁ」という、美しさを堪能するイベントとして絵画鑑賞をしていました。

 

だからモネ展もそんなノリで六本木に赴き、お披露目となった美術館の優美な造形に眼福を覚えながら展示会場へ入っていったわけですが…そこで感じたのは

 

(何だこれは…これ…全部モネ氏ひとりでやった仕事なのか…プログラマでいったらOSカーネル50個分じゃすまねぇ、何千万行コード書いてんだよお前は…)

 

です。いや本当にマジで。衝撃でした。それで、

 

(あ、人生ってこんな核爆発みたいに仕事ぶっちぎりで限界突破しちゃっていいんだ)

 

ってのを骨髄のカルシウム原子を周回する電子のレベルまで感じたわけです。

 

[4] 琳派展、セザンヌ展、ダリ展

この体験も、まぁ一言でいえば、、、

尾形光琳、お前もか…

というものでしたし、その感動が薄れるころにまた

セザンヌ、お前もか…

となったり、またその感動が薄れるころにまた

ダリ、お前もか…

ってなるわけです。

 

やっぱりどうしても人類の歴史に残るレベルの偉大な巨匠のエネルギーを一部もらっても、自分のキャパシティの小ささゆえに日常的にそれを維持しつづけれられないわけです。

 

だから定期的に再充電が必要で、時々開催されるこうした大々的な巨匠テーマの展示イベントは要チェックなのです。

 

だから私が個人的に特にオススメしたいのは、美術に疎い人でも名前を知ってるような巨匠中の巨匠その人を特集した美術展です。

 

ずっと一人の人の半生ぶんのマインドを、一度に味わえちゃうわけですから。作品を通じたコミュニケーションの一貫性を持ちやすいことも、そういう特集ゆえの敷居の低さにつながります。

 

[5] というわけで

こう書いておいて実は最近、美術展行けてないのですが、

ゲルハルト・リヒター展

が気になるので行こうと思います。

 

 

ではまた!

 

*1:私にとってのそれは、「開発は割と得意だけど研究が苦手。ちゃんとした論文とか書いたことないし。」というものです。なので、いつか博士号を取りたいという目標をとりあえず掲げておきます。