岡本太郎展に行ってきた

今日10/18(火)から東京都美術館で「展覧会 岡本太郎」が開催されています。

 

 

僕はもともと岡本太郎氏のファンというわけではなかったのですが、僕はオードリーの若林正恭さんの大ファンで、若林さんが岡本太郎氏を尊敬しているという話を聞いたのがきっかけで好きになりました。

 

絵画や芸術の世界の巨匠はみなそうかもしれませんが、宇宙の歴史からしたら砂粒の一つにもみたないたった一人の人間の生涯がいかにエネルギーに満ち溢れた大きなものであるかを感じさせてくれるという点で、岡本太郎さんには畏敬の念しかありません。

 

前置きはさておき、展覧会の感想を書きます。今回は特に気になった作品を 3つ 取り上げて、私が感じたことを文章にしてみる、というスタイルにしてみます。

 

重工業

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こちらの作品は、なんといってもパッと目につく歯車とネギ!。そして画中に登場する人間を模したオブジェクト。中央には人間の体からほとばしる破裂物が精気か狂気かを想起させます。

 

古来から人間は文明を発展させてきましたが、その端緒は農業でした。自然を征服して農作物を手に入れた人類は、ついには自然に眠る石炭や石油といった大きなエネルギーをも自分たちの手中に収めて利用しようとしています。もたらすものがいずれも自然に由来するという点では、自然からしたらネギも重工業製品も一緒です。

 

でも、我々人間にとってはネギを育てることと重工業産業を営むことの間には大きな隔たりを感じます。工業の発展の中で人間は機械に飲み込まれもするし、一方でそうした大きな機械を設計しうるのも人間のほとばしる英知の賜物といえます。

 

画家が描いたのは、人類の存在を超越した客観的な世界における自然としての生産物の等価性というリアリティ(=歯車もネギも大差ない)と、我々人間たちがその時代のうねりの中で被る悲哀や苦悶、それに対極する科学技術の勝利と未来への期待感、そうした主客を越えた全体感といえるのではないでしょうか。

 

本作品に限らずですが、岡本太郎氏の作品には象徴的な印象やシュールレアリスム的な印象を感じつつも、強いリアリティがあります。本展示会を通して私は、そのリアリティは作品が物理法則や物理的な制約をかなり描いていることに起因すると感じました。

 

特に、重力光の陰影については、かなりシビアに描いているように見えます。航空写真のように上から地図を描くような構図で描かれた作品が全然ないのです。ほぼすべて、横から見た構図で、重力は下に、空中に描かれたオブジェクトは浮いてるか時空間的な中間点を表しているかであることが殆どです。(ただし本記事の後のほうで例外も示します)

 

本作品もその原則に則って鑑賞することが出来ます。モチーフは現実の時空間を超越した観念の世界での全体性を描いているように思われるのに、その"物理的"実在感を否定しえぬように画家から仕向けられてしまっています。

 

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前節で、画家が物理的制約を十分に描いていることがリアリティの主因だという主張をしたばかりですが、本作品はその例外といえそうです。

 

岡本太郎作品は対象物を横からの視点で観る作品が多い中で、本作品は視点が不明です。「赤いテントを切り裂いたときに暗い夜空が拡がっていた」という解釈もできなくはないですが、実際にテントを切り裂いたときに高精度の連射カメラを用いてもこのような画像を写し撮ることは不可能でしょう。

 

確かに全体として、何か布切れのようなテクスチャにも見える統一感はありますが、そうだとするとそれぞれに分割されたパートを拾い観ても、およそ何か一つの平面から切り取られたものとは思えない形態をしています。右下のヘアピン状の形などはもはや固体ですらなく液体のようにも見えます。

 

しかし、背景の暗黒との対比のおかげで、赤い何かがそこに確かに存在することには確信が持てます。一体我々は形態の存在を何を第一起点として認識しうるのでしょう? 背景とのコントラスト? 以前見たことのある形に似ているかどうか? 曲線と直線の部分から演繹的に直観してる?

 

そんな理屈上の仮説のいずれにも帰依しなくても、本作品は形の存在を確信させてくれます。これが赤ではなく青だったらどうか? 緑だったら? もしこれが布という固体ではなく実は液体なのだとしたら?

 

と、画家が実在の形態からの超越を描こうとしたおかげで、我々鑑賞者に無限の自由度がゆだねられているのが本作品の魅力といえるかもしれません。

 

室内

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この作品は本展示会で個人的に一番感銘を受けたものです。これは単純な解釈としては、作者の岡本太郎氏が、メディアの企画か何かでどなたか著名人と対談しているシーンのようにも見えます。

 

本作品のタイトルは「室内」です。でも部屋なんてどこにも見当たりませんよね。部屋を囲う壁もちゃんと描かれてるかどうか、あやしい。小さな部屋で対峙する二人の人間が観念の世界で部屋から飛び出して、お互いの生のエネルギーをぶつけあってるようにも見えます。

 

二人は、何かを語っているでしょうか?語っているとしたら、何を語っているでしょうか? え?そんなのどうでもいいじゃないかって?何を語ってるかなんて野暮なこというなって?

 

そう、そうなんです。この絵の凄いところは、二人が何かを語っているように見えながら、その語りの内容なんてマジでどうでもいいと思ってしまうくらいに二人が大きいという点なのです。室内なのに、まったく部屋に収まりきっていない。それどころか、観念の世界ではキャンバスにすら収まっていないようにすら思える。

 

では、二人は喧嘩しているでしょうか? 私の回答はNo。

では、二人は愛し合っているでしょうか?私の回答はNo。

では、二人は議論しているのでしょうか? 私の回答は「そうかもしれない」。

では、二人はお互いを認め合ってるでしょうか? 私の回答は「わからない」。

 

ただ一つ確信できることは、小さな部屋の中に、大きなエネルギーをもった存在が、そしてそれが人間であるという確かな存在が2つあって、それらが生きて対峙しているという姿があることです。宇宙という存在にもし意識があったなら、強いエネルギーをもった二人の人間の対話は、この絵のように見えるのではないでしょうか。

 

そして、私たちは、この「室内」にいる二人のように大きなエネルギーをもって生きているでしょうか?この二人のように大きなエネルギーをもってお互いに対話しているでしょうか?

 

それを画家から眉間にナイフを突き立てて問われているような、そんな作品だと思いました。

 

というわけで

他にも素敵な作品がたくさん展示されています。絵画だけでなく、彫刻や立体オブジェ、モザイクタイル、数は少ないけど陶器や服飾関係のデザインなど、岡本太郎ファンには垂涎物の名作が目白押しとなっていたので、ぜひ貴方も足を運ばれてはいかがでしょうか。

 

ではまた。