東京

小さい頃、僕の実家がある埼玉県北部、熊谷市に住んでいたとき、東京は未知の都会だった。

 

親戚の殆どが埼玉県に住んでいたけど、遠い親戚に一人だけ東京に住むおばさん(父の叔母)がいた。父も母もその方のことを「東京のおばさん」と呼んでいたけど、本当の苗字も名前も僕は知らない。

 

その東京のおばさんの家に、一度だけ家族で日帰りで訪問したことがある。季節がいつだったかは覚えてないが、良く晴れた日だった。そこの家の知らない遠い親戚の子と一言二言話をした後、外に出て一人で散策した。なだらかな坂になっているアスファルトの道とコンクリートの塀に囲まれた住宅がいくつも並ぶ静かなところだった。

 

いつも僕が実家近くの荒川の河川敷で眺めている遠くまで開けた空の夕日と違って、その東京のおばさんの家の前で浴びた夕日は、知らないところから差し込んきて、見たことのない形の影を刻んでいて、まるで絵画を見ているかのようだった。

 

東京のおばさんの家には、父の運転する車で行った。車窓から見える景色は、東京に近づくにつれて次第に未知のものに変わっていった。高いビルや大きな建物が遠くに密集していたり、何層も立体交差する高速道路のジャンクションが間近に迫ってきたりして、東京って凄いところだなと幼心に感動を覚えたのだった。

 

東京のおばさんがどんな人であったかは、まったく覚えてない。お小遣いをいくらか、もらったような気がするくらいか。今思えば、そこで出された「東京のお菓子」などのことも覚えていても良さそうに思えるが、その家の中での出来事は全く記憶にない。

 

ただただ、その東京のおばさんの家の外で感じた東京の空気と空と光と影とが、時間を止めた映画のワンシーンのように僕の記憶にこびりついている。

 

何度か、あれはどこだったの?と、両親に聞きたくなったこともあった。しかしそのたびに、無意識にその質問を胸にしまい込んできた。あのとき感じた東京が、あのときのままでいて欲しかったからかもしれない。

 

僕は東京に住んで、もう20年近く経つ。もしかしたら、その記憶の中にある東京のおばさんの家の近くに知らずに行ったこともあったのかもしれない。また、今でもときどき、小さい頃のあの東京のイメージが一瞬だけよみがえることもある。その感情は筆舌に尽くしがたいものがあるが、そのイメージが持続することはなく、いつも一瞬で終わってしまい寂しい気持ちになる。

 

「これがずっと続いたらなぁ。「僕の知らない東京」に、ずっと住めたらよいのになぁ。」

 

そういう憧れを憧れのままに、大人になってもう慣れ親しんでしまった東京の空は、今日もオレンジ色の夕焼けに染まっていく。

 

記憶の中のあの東京には、温かさも寒さも季節も残ってないけれど、いま僕が生きている今日という日の東京は、まだ二月だからと着こんでいたら少し汗ばんでしまうくらいのとても暖かい日だった。