位相空間の連続写像や測度空間の可測関数が「逆」写像を使って定義される理由

当日投稿でもう一つ adventar.org の記事を書いてみました。

突然ですが、数学を勉強してると、以下のような疑問に突き当たるのは僕だけでしょうか?

これは分かってしまえばとても簡単なので、説明します。

結論をいうと、逆写像は集合の演算(AND, OR = 共通部分、合併)を保つけど、写像(を集合関数と見たもの)は保たない、からです。

それぞれ見ていきましょう。

写像と集合演算

例えば集合をX,YとしてXからYへの写像Fがあるとします。 Xの部分集合X1,X2に対してAND,ORしたものと、それらのFによる像 F(X1),F(X2) (=Yの部分集合) に対してAND,ORしたものを比較してみましょう。

  • F(X1 and X2) ⊆ F(X1) and F(X2)
  • F(X1 or X2) = F(X1) or F(X2) (これはOK)

像はAND演算を保ちません。写像は「行き先が一つに定まってれば良い」、つまり異なる入力に対して同じ出力があってもよいです。これは直感的には「写像を通すと情報が減る」という風に私はイメージしています。

写像と集合演算

同様のことを、今度はYの部分集合Y1,Y2を使って逆写像F^{-1}について考えてみましょう。逆写像写像と違ってもともと集合関数です。

  • F^{-1} (Y1 and Y2) = F^{-1} (Y1) and F^{-1} (Y2)
  • F^{-1} (Y1 or Y2) = F^{-1} (Y1) or F^{-1} (Y2)

こちらはイコールになります!「逆写像を通しても、情報は減らない」し、「増えもしない(なぜなら入力よりも情報量が減ってるのだから当然)」から、「情報は同じ」です。それが「逆像が集合演算と可換」になることの直感的なイメージです。

つまりは、

位相空間における開集合や、測度空間における可測集合は、集合演算に対して閉じていることが要請されるので、well-definedな理論を作るにはその要請をキープするような写像を考える必要があるので、集合関数が集合演算と可換になってる必要があるので、逆写像で定義されるわけです。

余談: コホモロジーホモロジーよりも重要になる理由

また、これと直接同じ理屈ではないのですが、「ホモロジーよりもコホモロジーの方が自然で使い勝手が良い」という、似た話があるので余談ですが紹介しておきます。

集合XとYがあり、X上で定義された関数F1と、Y上の定義された関数F2があるとします。値域はF1、F2とも例えば自然数だとしましょう。 (別に自然数じゃなくても連続値でもTrue/Falseの2値でも{男、女}でも{英語,日本語,中国語,ドイツ語,..}とかでも、なんでも良いです。機械学習の特徴量抽出とかのイメージでも良いです。)

それと、XからYへの写像fがあるとします。このときに、fとの合成を使って「新しい関数」を作る方法を考えてみましょう。

まず、F1とfの合成を考えてみましょう。F1はX上の関数ですが、x∊Xに対してF1(x)は自然数(値域の要素)になってしまい、写像fと合成が出来ません。またx∊Xに対して先に写像fを適用してしまうと集合Yのほうに舞台が移ってしまい関数F1は置いてけぼりです。なので合成が出来ません。

では、F2とfの合成はどうでしょうか?F2はY上の関数ですが、 x∊X に対して写像fで写すとf(x)∊Yとなり、関数F2を適用でき、F2(f(x))は自然数(値域の要素)となります。めでたく、Y上の関数F2からfとの合成によって新しい(X上で定義された、値域が自然数の)関数を作り出すことができました!!

(まだ私も勉強し始めたばかりですが)ホモロジーよりもコホモロジーのほうが出来ることが多い、っていう話はこういう理由から来てるようで、一見違いがないように見える部分にも「本質的な違い」が秘められてるという面白い例だと思います。

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