比喩の種類とアレゴリー

3連休(2025/7/21). 久々にブログ書いてみます。

文章を書くとき、何かを別の何かで置き換えて表現する言葉遣い(=修辞技法、レトリック)を良く用います。 そういう置き換え技法にも、

  • シンボル(象徴)
  • 抽象化
  • アナロジー(類推)
  • メタファー(隠喩)
  • メトニミー(換喩)
  • アレゴリー(寓意)

といったバリエーションがあります。これらが分かりにくいので、整理してみます. (ってのが本記事の主旨です)

シンボル(象徴)

  • ハトは平和のシンボルだ
  • 天皇は日本の象徴である
  • 各種の企業ロゴ

シンボル・象徴の特徴は、それが表す内容との結びつきが「恣意的」であることです。

鳩と平和の間の関係に必然性はありません。確かにハトはのんびりした動きとか平和っぽさがあるかもしれませんが、他にもそういう動物はいっぱいいるでしょう。 天皇については、こちら*1で説明します。

企業ロゴも、由来を含めたりしますが、基本的には「何でもアリ」つまり恣意的です。

抽象化

  • リンゴは果物(の一種)だ
  • 日本にある季節は「4季+梅雨」だ

概念や事物を「階層化」したり「分類」したりして、個別のことを語らずに済ますのが抽象化です。例外をいったん無視(捨象)するのも特徴です。

抽象化の利点は、一言で多くの内容を言えることです。例えば、「果物は大抵甘い」とか。 逆に欠点は、例外を掬い取れないことです。苦い果物(アボカドとか?)もあります。

アナロジー(類推)

  • コンピュータ「ウィルス」
  • ワールドワイド「ウェブ」

平たく言えば「意味のあるこじつけ」です。人体を侵して自己増殖するウィルスになぞらえて、コンピュータを侵すウィルス、ってわけです。また、ウェブって、もともとはクモの巣っていう意味です。

アナロジーは、比喩表現の一種ですが特に「全然違うものを共通点だけでこじつける」のがアナロジーの本領です。だから、「初めて遭遇する事象」を「既存の知ってること」を使って表現する際にとくに重要です。なぜかというと「初めて遭遇する」というのは「今までの経験とイコールでない」からです。

これはビジネスで特に重要です。「なんとか料」を新しく定義するときに、アナロジーが不可欠です。例えば、「ソフトウェアライセンス使用料」という概念は50年前とかはあまり例が無かったはずです。「形が無くいくらでもコピーできるのに、レンタル料を徴収する」って、かなりのこじつけだと思いませんか?ビルゲイツえらい。

メタファー(隠喩)

  • 時は「金」なり
  • 10連勤の「嵐」が過ぎて、休暇に入る

何が何かを明言してない(隠している)けど、文脈から明らかに何を指し示してるのか分かるような比喩表現です。 時は貴重なもので使ったら無くなることをお金に喩えられるし、長期連勤は休む暇なく対応が必要という面で嵐に喩えられます。

メタファーは明言せずに使う表現なので、誤解のないように文脈を工夫する必要があります。歌詞などでも良く用いられます。

メトニミー(換喩)

  • 「永田町が」揺れている
  • 俺は若い頃「ギターで」食ってた
  • 「一杯飲ん」でく?

メタファーに似てますが、「字面どおりの意味から、1段ジャンプしてる」のが特長です。

例えば、「永田町」は国会や内閣やそれを取り巻く政治系の言論やメディアを指しています。本来の地名から意味がジャンプしてます。 「ギターで食う」というのは「音楽活動で生計を立てる」という意味で、ギターというモノの意味から「音楽活動」に意味がジャンプしてます。 「一杯飲む」は、ジュースではなく普通はお酒という意味のジャンプがありますし、一杯では済まないことのほうが多いです(ってそれは俺だけか笑)。

それに対して、「時は金なり」の「金」は「貴重で、使ったら無くなる」というお金本来の意味をそのまま適用しており、意味のジャンプは特にありません。 「10連勤の嵐」も、「嵐」の「対応に迫られる状況」という意味をそのまま使って例えており、意味がジャンプしてるというほどではありません。

メタファーとメトニミーの違いは、程度問題で人によってどちらに分類すべきかは意見が分かれるかもしれません。 でも少なくともこの2つの概念の違いという意識を持つことで、表現の幅が広がると思います。

アレゴリー(寓意)

アレゴリーは、単一の事物や概念ではなく、物語やシーン(複数の事物の相互作用)を使った表現です。

例えば、「ウサギとカメという物語は、コツコツ真面目にやることと、効率よくやったりサボったりすることの、対比」という「全体的な相関・相互作用」を使って他の物事を説明する際に引き合いに出されます。

自由の女神像は、それ自体は単一の事物ですが、着飾ってる衣装や装飾品、抱えてる書物や掲げる聖火、そびえたつ台座といったその構成要素一つ一つが象徴的な意味があり、それらの相互作用の全体像として意味が成り立っています。そして、アメリカが目指すものを全体的に象徴する際に、単なるシンボルではなくその構成要素にも一定の内容をもって言及してることになるところが、単一のシンボルとアレゴリーの大きな違いです。

また、ときどき教養あるっぽい人が神話のシーンを使って物事を説明することありますが、知らねーよって言いたくなることが多いですが、これもこれで、複合的な象徴同士の相互作用を一発で言い表すレトリックとして有用なものだと言えるのです。

だから理系なら神話なんて意味無さそうに思えちゃいますが、あれはあれで知識の宝庫で知っておくと様々な複雑な表現をズバッと言い表せるようになったりするものなんだと思います。

というわけで

言葉の置き換えレトリックについて列挙・比較をしてみました。特にアレゴリーという概念を僕は最近知ったので、ちょっとだけ(1ミリくらい)神話にも興味が湧いてきた今日この頃です。

*1:天皇が日本の象徴だというのは恣意的なのか?と言われると、むしろ恣意性よりも必然性のほうが強そうにも思えます。しかし、僕が思うにこれは、逆説的なレトリックになっているのです。日本人が「うすうす」、天皇は日本の歴史上なくてはならない存在だと感じてる、すなわち、天皇の存在は日本にとって必然だと感じてるところへ、恣意性をニュアンスとして含む「象徴」という言葉を充てたことによって、その前提に対して暗黙の留保を与えているのです。敗戦直後の日本人の気骨と気質を米国がなだめるために、それが必要だったのかもしれません。