眞子様に対する皇室の中途半端な姿勢の理由

眞子様と小室圭さんのご婚約報道からもうすぐ4年。

 

そんな年月が経つにも関わらず全く諦める様子もなくひたすら結婚への道筋を歩もうとする眞子様を見ていると、「さすがにええとこのお嬢さんだけあって、一途なんだなぁ〜」と40過ぎの中年独身のオッサンとして微笑ましい思いでいっぱいな昨今です。

 

しかし眞子様を取り巻く皇室や関係者の方々の姿勢は、結婚に大賛成ではないのは当然としても、大反対という態度を明確に示すことは避けているように見えます。昭和から平成にいたるまで、皇室メンバーのご婚姻は国民の一大イベントであり、かつ、そこに天皇家の歴史や伝統に見合った格式が備わっているものでした。

 

だから前例に照らせば、内心はともかく大反対という姿勢をもっと強く示し続けても良いような気もします。しかし、それはできない。

 

なぜなら、天皇は日本国家という幻想を成立させる象徴(つまり、国を成立させる手段の一部)であり、日本国民の幸福を象徴する存在であることが期待されているからです。皇室は、日本の幸福な家族の象徴でなければなりません。

 

眞子様や更に年下の年代の、未来を担う若者たちにとって日本のマクロな将来はとても暗いものです。他国と比べて構造的に下り坂なのは明白で、自分たちにとっての「幸福とは何か?」をシビアに考えていることでしょう。

 

恋愛結婚は、(独身の中年のオッサンの自分がいうのもなんですが)人生の幸福を左右する大きな要因の一つです。それも、マクロな社会環境とは独立に「自分たちの手で掴み取ることの出来る数少ない幸せ」の一つでしょう。

 

マクロな社会環境が、ミクロな個人の自由を制限してもなお幸福な人生を見返りとして与えられる時代であったならば、伝統や格式を重んじる皇室が今回の2人の結婚を絶対に認めないという結論を出しても、国民に受け入やすかったでしょう。

 

しかし今はそうではないです。もし、皇室が2人の結婚を認めないとなると、社会を閉塞させてしまっている原因である既存のマクロな構造が、数少ないミクロな幸せさえも奪うという絶望感若い人たちに与えてしまうでしょう。だからあれだけ格式を重んじてきた皇室が2人の結婚を拒否できないのです。

 

また、当然ながら大賛成というわけにもいきません。それは皇室の伝統と格式を否定することになり、それは日本という国家の成立を土台から否定することにつながりますから。

 

21世紀は、国民国家という幻想よりもGAFAMのようなグローバル企業が生み出すプロダクトやサービスのほうが遥かに人々をまとめそして動かす時代でしょう。

 

それが国民国家の影響力を完全に超えてしまった将来、皇室はどうなっているのでしょうか? 皇女がマッチングアプリで知り合ったインドの男性に嫁ぐなんてことも、あるのかもしれませんね。