県境を旅してまわるような

思うところあって、短めのコラムやエッセイを(できれば)毎日UPしていこうと思った次第。

 

今日は連休明け(カレンダー上は「飛び石」でしたが有給休暇をいただきました)のせいか、午後イチの時間帯が非常に眠く、仕事にならなかったのでオフィスビルにある書店をブラブラしてました。

 

色んな本を拾い読み立ち読みした中で、ふと視界に入った本がありました。

 

「県境を旅するガイド」(違うかも。正確な書籍名忘れた)

 

まぁ、ニッチな趣味ですよね。こんなの相当のヒマ人しかやらんだろ、って思っちゃいそうですが、趣味とはそういう無意味なものほど楽しかったりするのも事実。思わず手に取って立ち読みしてしまいました。

 

内容は想像通りの、県境に建つ看板のグラビア写真がページの中央にあって、それをマニアックなネタを語る文章が取り巻いているといったページ構成。パラパラとページをめくっているだけで、この本を編集したスタッフの方たちには「友達になったら絶対楽しいやつ」しかいないと確信できます。

 

そもそも県境というのは、人というか社会が決めた都道府県という行政区分によって成立する極めて人為的な地理事情だったはずです。本書はそれをあたかも観光名所であるかのように語り、最終的には旅情をもほのめかすその編集っぷりの面白さ。

 

都道府県などというものは、歴史の恣意性によっていかようにもなりえたはずのものです。だからe=mc^2(相対性理論におけるエネルギーと物質の等価性を示す式)などと比べれば、それが大いに「自然界の真理性」に欠くことは明かです。それが私にとってのこの本の「おかしさ」であり「おもしろさ」でもあったのですが…

 

しかし「観光や旅情とは何か?」を、よくよく考えてみると、自然の摂理を反映したような絶景はそれはそれで観光におけるエンタメ性の主要素ではありつつも、歴史の偶然性がもたらした大いに人為的なもののほうが案外旅情を掻き立てうるのではないか、ということも私は同時に思いました。

 

これを経済的に有意義な話に置き換えるなら、ビジネスにおける仕事のコミュニケーションでは、客観性を重視して組み立てられたロジックが説得力を持つことが通常ではあるにしても、その客観性の中に我々人間社会の歴史の恣意性みたいなものが題材として取り入っているようなケースは案外多いのかもしれないし、それはそれで説得材料としての地位を確かにもっているのだろうな、と思ったのでした。