技術経営的に良さげな組織的OSS活用体制について ~SDGsとブランディング以前の「そもそも論」~

ブランディングだけじゃないよね

知的財産をどうマネジメントするかは、技術経営(MOT)の最大のテーマの一つですよね。

 

特許や著作権というレガシーな手法の上に組み立てる色々な戦略には事例がたくさんあるのだと思いますが(私はそういうもののほとんどを知りません…)、個人的にはパテントトロールみたいなお金の動かし方は好きではなく、人類の知はオープンであるべきだと思ってる派です。

 

でも企業が技術に何らかの投資をするからにはリターンが必要なわけで、最近だと企業ブランディングのために持続可能社会にどれだけ貢献したかといういわゆるSDGsが重要視されるようになりましたよね。

 

しかしそうしたブランディングは短期の財務に現れる可能性は限定的でしょう。納品先のSDGsポリシーに合わせざるを得なくなったとかだとしたら、それは既にまっとうな「必要経費」ですし。

 

ブランディング投資的なOSSコントリビュートが多いような?

データも事例も示さずに憶測で語るのは私の悪い癖ですが、多くの場合、OSSへのコントリビュートはそれによる人材採用面でのアドバンテージや協業可能性の向上等の比較的目に見える成果も広く含めるなら、やっぱり「ブランディングのため」という一言にくくれるケースが多いような気がします(ここはバッチリ主観として)。

 

しかし、技術進歩のスピードがあまりにも高まっている昨今、そうも言ってられない状況になっているんじゃないかと思いました。

 

ふつうに、OSSにコントリビュートして、類似の課題を抱える企業をグローバルに見つけて(こういうものをマッチングする社会的な仕組みってあるんでしょうか?)、共同でOSSの「無い部分」を開発してお互いに利用し、OSSコミュニティにフィードバックしてしまう、というやり方がもはや不可欠になるんじゃないかと。

 

もちろん、もうすでに多くの分野でそうなっていってるかと思います。そうなると、企業の競争力や参入障壁はどうやって作っていくのかは問題です。

 

データこそが資産でありテクノロジは公共物とみなす

そこで私が思うのは、そうやって最初はどこかの企業がコストをかけて生み出したものは公共的に利用されるが、それを使って個々の企業が集めて蓄積した「データ」をプライベートな資産として競争力の源泉とするのが良いのではないか、ということです。

 

デジタルデータそのものは、空間的・時間的な制約を超えて共有されうるものですが、その内容はローカルな要因(言語・地域・文化・慣習)で構成されていることが殆どではないかと思います。

 

だから、たとえ同じテクノロジーを地球の表側にあるA社と裏側にあるB社がそれぞれ使ったとしても、各々に蓄積されるデータは「質的に」別々なものになるし、それが生み出す付加価値も「質的に」異なるものになることが普通なのではないか。

 

さらに、もしそのA社とB社のいずれもグローバルにビジネスをしていた(一番わかりやすい例でいうと、どちらも旅行会社の)場合、データから(機械学習等のデータ分析等を経て)得られる付加価値もそれぞれかなり異なるものになるのではないか、と。

 

だから、真に「ローカルな必要性」って本当はすごく小さい部分に限られるはずで、多くの「イノベーティブ」なテクノロジは本当は公共財であるべきじゃなんじゃないかと思うのです。

 

今回の記事は短めで。

 

ではまた!