ちくま新書のすすめ

私は今40過ぎのオッサンですが、20代の頃はある大企業に勤めていました。

 

週末の暇つぶしネタを探さねば!

平日の仕事はモチベーション的にも成果的にも「まぁこんなもんかな」という可もなく不可もなくな日々を過ごしてましたが、さぁ週末。僕は友達があまりいなく彼女もいなかったのでバッチリと暇でした。

 

そこで思いました。何か自分にプラスになることをしよう。

 

「そうだ、自分は理工系の大学院まで出たけど、人文系の大学の学部レベルくらいの知識なら独学で学べるんじゃないだろうか?」

 

と、思い立ち少し大きめの本屋に行き、普段気にもしていなかった人文系のコーナーに並ぶ本をざっと見渡してみました。

 

確かに大学の教科書になっていそうな本も結構ありましたが、どれも分厚い。「ちょっと敷居が高いなぁ」と引いてしまいそうになりましたが、とりあえず事前にネットで調べて評判の良かった「マンキュー経済学」という少し厚めの本を買って帰りました。

 

面白いと言われてる本は面白い!

しかし、これが読んでみるとめちゃくちゃ面白い。経済学におけるものの考え方は自分にとって新鮮で、飽きずに平日の夜も読んだりして、無事に読み終えることができました。

 

読書という新しい趣味を見つけた私は、とりあえずネットで評判の良い本を買っては読むというのを繰り返しました。

 

その頃に読んだ中で一番好きな本は、リチャード・ドーキンス著「利己的な遺伝子」という本です。この本は、内容よりも訳者である日高敏隆さんの日本語訳が素晴らしく、というか美しく、絡み込んだ事項をスッキリ説明する原著の言い回しが、美しい日本語の言い回しにどんぴしゃり置き換えられている、そういう訳文なのです。

 

それで気に入った箇所を一人部屋の中で何度も声に出して反芻してその言い回しと意味の対応の美しさを味わいました。この上ない充実感を覚えたことを今でも鮮明に思い出します。

 

ちくま新書ファンデビューへ

日高敏隆さんの日本語使いによって、言葉が持つ力に魅入られた私は、その魅力をさらに掘り下げて味わいたいと思うようになり、その欲求を満たしてくれそうな本を探しました。そういうきっかけで、ネットでの評判ではなく自分で自分の読みたい本を探すようになりました。

 

そしてお目当の本を見つけました。竹田青嗣先生という哲学者が書かれた本です。

筑摩書房 シリーズ・人間学 3 現象学は〈思考の原理〉である / 竹田 青嗣 著

 

私の欲求は日本語が持つ表現の力を存分に発揮して書かれた、美しい言い回しをしている本です。だからこの本の内容(が哲学についてのものであること)は、初めは割とどうでもいいことでした。この他にも竹田青嗣先生の書かれた一般向けの哲学入門書を一通り読み漁りました。

 

竹田青嗣先生の言葉使いにこの上ない感銘を受けた私は、

 

「もしかしたら、竹田先生だけが特別なのではなく、哲学者というのはこうした込み入った複雑な物事を巧みな言葉使いによって処理するような学問なのではないか?」

 

と考えるようになり、他の哲学者の書いた本も読むようになりました。といっても、カントやヘーゲルといった哲学界の巨匠の書いた原著を読めるほどの知識と哲学的思考力は無いので、もっぱら日本の哲学者が書いたそれら巨匠の入門書をひたすら読み漁りました。その中でも中山元先生と戸田山和久先生の言葉使いに惚れ込みました。

 

哲学から一般教養へ

そうやって哲学の入門書ばかり読んでいたのですが、その多くがちくま新書でしたので、本屋に行くと自然とちくま新書のシリーズの他の本も目につきます。社会人でお金にも余裕があったので、気になる本は片っ端から買うことにしました。

 

そうして、部屋にはちくま新書が積み上がっていきました。予定のない週末になると、その積ん読本を消化するという趣味を、その大企業を辞めるまで続けました。

 

そうやって読んだちくま新書を後であるとき数えてみたら、200冊ちょっとになっていました。

 

大企業を辞めた後は、色々と余裕がなくなり、本業に関係ある理工系・コンピュータ系の本ばかり読む30代を過ごしました。

 

40代になった今

40代を迎えて早3年。最近、20代の頃のあの読書体験が自分の中でいい具合に発酵して、いい影響をもたらしてくれたら嬉しいなという思いと、実際にそうなっているかもという、うっすらとした自分の変化を感じます。

 

IT系のエンジニアリング、AIやデータサイエンスの世界では果てしなく凄まじいスキルを持った方というのが存在します。私なんて逆立ちしても勝てそうにない人が本当にいっぱいいます。

 

それでも自分はそういう天才たちとは別の、自分独自の能力が発揮できそうだという根拠のない自信も芽生えつつあります。

 

良くも悪くも僕はそういう天才とは違う人生をこれまで歩んできて、その違いこそが自分を自分たらしめる掛け替えのない財産だという思いでいっぱいです。

 

人生は一度きり。これからの人生も一層の充実感を感じられるよう力を発揮していきたいです。

 

ではまた。