ホームレスとして生きるビジョン

晴れてるので散歩がてら本屋に行った帰り道。一人のホームレスとおぼしき初老の男性が人通りの多い歩道の片隅で正座で佇んでいた。彼の前にはプラスチックの容器が無造作に地面に置かれていた。

 

行き交う人のほとんどが彼に目もくれない。容器の中にお金は1円も入っていなかった。

 

しかし僕は数秒、足を止めて、彼の方に目をやった。彼は俯いたままだったので目があうようなことはなかった。

 

「しょうがないのか、な」

 

何事も、お金をもらうというのはプロということである。だから乞食というのは立派なプロ稼業のはずだ。しかしなんだ、あの彼の体たらくは。乞食という稼業をなめすぎている。

 

僕はニートでいた最近、乞食をやってみようかとちょっと検討したことがある。乞食というのはヒッチハイクと似ていて、コミュ力を鍛える素敵な活動に思えたからだ。しかし思いつきはしたものの、なんだか面倒くさくて、その思いつきはそのままゲーム三昧の日々に埋没していったのだった。

 

だから今日、彼の姿を見たとき、思わず立ち止まってしまったのだ。

 

ホームレスと乞食は密接に結びついているようでいて、案外そうではない。ホームレスが乞食を行うときに障害となるのはお風呂に入っていないことによる不潔問題である。

 

ホームレスだっとしても、衣食住はなんとかなるものである。*1

 

1日に数百円程度であれば、現金の得る手段は案外あるものなのだ。しかしそのお金を持っても、不潔なままでは銭湯に入ることさえ許されない。夏場であれば公園の水道などで水浴びなどすれば良いのかもしれないが、冬になるとそれも厳しい。

 

で、清潔でありさえすれば、あとは「占い」が多分一番稼げる。乞食をやるにしても、ただ金をくれというだけでは集金力に限界がある。「無料で占ってあげるから、もし満足したら好きな額を恵んでくれ」というビジネスモデルが乞食稼業に合っているんじゃないかと思う。

 

だから、本気でやれば、ホームレスでも十分、生きていける。

 

ここまで書いてきたら、本当に乞食占い師を試してみたくなってきてしまった。僕はホームレスではないけど、家がちゃんとあっても趣味としての乞食をやってみるのはいい経験になりそうな気がする。

 

というか、死ぬまでに一度も乞食をしなかった人生と、一度でも乞食をした人生を比べると、なんか後者の方が豊かな人生な気がする。

 

そんなわけで、雑文ですが今日はこの辺で。

ではまた。

*1:こう書くと、お前ホームレスやったことあるのか?と言われるかもしれないが、私は大企業に属していた20代の頃、2泊3日でホームレスをしたことがある。